■第6回

 ―――『紅殻町博物誌』webコラム最終回特別編・希の実習記録より―――


『紅殻町博物誌』の企画シナリオを担当した希である。『紅殻町博物誌』のWebコラムもとりあえずこれで最終回となる。これまでは町の紹介や登場キャラクターの夏のある日などを物語ってきたけれど、最終回はちと趣向を変えて、自分が『紅殻町……』の企画の着想を得るに至った、あるきっかけのような出来事を話させていただきたい。

  それはまだ私が学生だった頃の話―――

  せっかく大学に潜り込めたのだから(その頃は生徒の絶対数が無駄に多くて、どの学校も入試の倍率が異常に高く、入るだけでも一苦労だった時代だ)、在学期間中に学生であることを利してなんらかの資格を取りたいと考えていた。当時取得可能だったのは、もちろん教職員資格、そして学芸員資格、それからX線技師関係の資格と、細かいことは忘れたが私がいた大学は併設された短期大学がそちらの学科を置いていた関係で、多少無理をすればその技師資格も取得できたのだ。それから後は、僧職の資格。
  これは正規のコースではなかったのだが、うちの大学というのはそもそも寺の学林を前身としており、教授達も坊主だらけ、お陰で法事が多い彼岸頃には休講がやたらと増えるという有り難いのだかなんだか判らない学校だったのだが……と、話が逸れた。ともかく、そういう学校柄、教授に話を通せば長い休みなどを利して寺に修業に行き、僧の資格を取ることも可能な学校だったわけだ。
  私はこれらの取得可能な資格をつらつら眺め、考えこむ……までもなかった。もともと教室で受験のための勉強を教える質ではないし、あの教育実習というのも考えただけでも息が詰まる。将来その手の道に進むアテなどこれっぽっちもないのにX線を扱う術など学んでなんになろう。坊主というのには少々惹かれないでもないが、親類縁者に潜り込めるような寺はなく、僧の生活というのもあれはあれで大層窮屈なものだと聞く。
  となれば、学芸員、博物館の館員の資格しかあるまい。もとより博物館という施設も大いに好むところだ。個人的には図書館司書の資格にも食指が動いたのだが、うちの大学にはそのコースがなく、どうやら専門の学校に通わないとならなかったようなので、残念ながらその案は却下となった。


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 ……そういったわけで博物館学講座を取得し始めたのだが、これが始めてみるとなかなかに大変で、まず当然の事ながら資格に必須単位の講座がある。これを時間割に組みこむと、二学年次の時間割などは週六日は必ず通学せねばならず、おまけに一限目から四限目まで埋まることはざら、ひどい時など五限目まで入る始末で―――ちなみに今はどうなっているのか知らないが、当時の四限目、五限目というのは終わればそれぞれ夕刻、夜というのが大学の時間割だ。
まあそう言った座学も後から思えばなかなかに興味深いが、やはり想い出に残るのは三つの実習だ。
そのうちの実習T、見学実習では様々な博物館・美術館を巡られたので、今となっては良い想い出だ。
ちなみに当時で想い出に残っているのが、まだ開設なったばかりであった江戸東京博物館。こちらは新しい館だけあって、資料の展示的にも施設的にも様々な新しい技術や知識が凝らされており、あの当時では理想の館の一つであったように思う。もう一つは六本木のペンタックスカメラ博物館。館とは名ばかりの雑居ビルのワンフロアをどうにか占有した、閑古鳥が鳴く館ではあったが、なんというのか空間に占める棚の密度、展示された古いカメラの数々、そして室内の静謐が、都会の中の隠れ家のような情趣を醸し出していて、非常に心地よかった覚えがある(追記。この館は今年平成二十一年度で閉館されることになってしまった。残念!)。次点は改装前のいわさきちひろ美術館。
それから実習Uと来るわけだが、この実習で自分が行ったのは埼玉県某地方の板碑、墓碑の調査。なにかというとその地方には板碑・墓碑に緑泥片岩が用いられることがあり、どの板碑・墓碑がその岩盤で作られているかを調査していくというもので、要は墓場巡りだ。それだけならばさして苦労もないのだが、自分はこの時また間が悪いことに某会社の書き物仕事(当時から物書きの端くれめいたことをやっていた)の〆切と完全に重なっており、墓場にノートPCを持ち込み、とにかく空いた時間と見つけるとできる限り仕事を進めていた。一緒に実習していた仲間達から見ると、さぞや異様な風体に見えたことだろう。


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  そして実習V。いよいよ博物館学実習だ。自分は郷里が山形県であるので、担当の教授にどうにか実習館を『山形県立博物館』にねじこんでもらい、さいわい実習期間も夏季休業の中に収まった。この館は霞城公園という古い城址内にある、公立博物館としては歴史の古い館で、それだけに設備の問題などは色々あるのだが、自分としてはそれらも含めて非常によい雰囲気の館であったと思う。館の若い受付嬢の、小柄で、顔の造作が小作りでお雛様のように可憐な、長い三つ編みの女の子と話が良く合い仲良くなれたのも素敵な想い出だ。館はその後改装の話もあったようだが、実現されたのだろうか……。
今でも憶えている―――


【画像は便宜上のものです】

 自然資料の硝子棚を巡っていくと、各種動物の剥製類、液浸標本の瓶が並んでいる端に、忽然と白木の白粉箱があり、中に毛のぽんぽん、白粉はたきのようなモノが展示されている。こりゃなんだとしげしげ見ればそれが―――『ケセランパサラン』。
  更に巡っていくと、小さ目の硝子ケースの、小仕切にされた中に黴のたかったような虫の死骸がびっしり並べられており、何か思えば『冬虫夏草』の展示ケースで、自分は後にも先にもあれほどの数と種類の冬虫夏草類を見た覚えはない。
  一般見学者ではまず入れてもらえない資料収蔵庫内を見学させてもらったのも貴重な体験だ。自分はその時初めてカマキリ・一名アユカケの実物の液浸標本(ホルマリン標本)を見た。それまでは自分にとってほとんど伝説中の魚類が、標本ではあるが、その時初めて自分の世界の一つとなった感動は今も忘れられない。興味があればインターネットなどで検索をかけてみるのもよろしかろう。


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 実習が始まって二日目だったと記憶している。その日は館外で化石の発掘実習で、運の良い実習生などは早速サメの歯の化石などを掘り出していたが、自分は残念ながら収穫ゼロ。山形のきつい夏陽にさんざか照られて軽い熱中症になりかかる始末で。
この日の夜、実習生の歓迎会を開いていただいたのだが、乾杯の前には、やはり館長どのからの色々なお話があるわけだ。全ては省くとしても印象的だったのが、山形の山間部の方の、天蚕(テンサン)、ヤママユガの繭から取った絹糸で織った布の事だった。このヤママユガの糸は、当然採れる量は少ないのだが、飼い蚕(カイコ)の糸よりも質はいいそうで、こうした織物は最上等のモノであるそうな。またそれが地元の紅花で染められて、実に良い色艶を出していて、量産できないけれど、地方の特産物として、こういう品は是非博物館で展示したり紹介したりで、作っている人達を応援していかなければならない、それも博物館の仕事だ、そういう主旨の話だった。
館長のお話の主旨もさりながら、自分にはそのヤママユの糸で織って紅で染めた織物が非常に新奇かつ床しく見えて、感心しきり、素の話を肴に館長殿とも意気投合して、いや呑んだ呑んだ。元々少しばかり酒が呑める口だったのも手伝ったけれど、なにより日中の日盛りの中の慣れない野外実習が災いしたのだろう。しまいにぶっ潰れて終バスをあっさり無くし、館の宿直室にマグロと転がるという有り様の、こんな実習生など前代未聞であったという。


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 ―――問題は。夜中に深酒の渇きで目を覚ましてしまった事。目覚めてみれば当然見知らぬ場処で、おまけに深酔いで頭はがんがん痛い。水が欲しくて溜まらないのと、見知らぬ場処という二つが重なって、自分はみっともなくもパニック状態となって宿直室から駆け出して館の中を走り回って、とりあえずトイレに駆けこんだがその際更に情けないことに、どこかの段差で思いきり転倒、鼻面を強かに打ちつけて気が遠くなった。
  ……次に目を覚ましたのはまた宿直室で、自分で戻った覚えもないのにと、痛む頭と鼻先できょろきょろしていると、室内に誰かある。白いブラウスとタイトスカートというシンプルな服装の、優しそうな貌立ちの年増の美人だ。自分はその人に、当たり前だが少しのお小言と、水のコップと、そして濡れたハンカチを差し出された。「鼻血を拭きなさい」と。……どうやら先ほどすっころんだおり、盛大に鼻血を出していたようで、ハンカチはたちまち赤く汚れた。

 


           【そう、ちょうどこんな女性でした】

 もう平身低頭でその御婦人に必死に謝ると、意外なことにたいして怒られもせず、呑みすぎをたしなめられた程度。それどころか、あのヤママユの織物と紅花染めの話で盛り上がってくれたのが、嬉しかったと。自分はさっさと記憶が怪しくなっていたのだが、どうやら歓迎会の途中から加わっていた人らしい。その織物の関係者であるような口ぶりだった。
  水をもらい、鼻血も拭いて、どうにかこうにか落ち着きを取り戻す。ハンカチの方は洗って返しますと申し出たのだが、やんわりと断られた。なにしろ住んでいるところがその、山の中だから大変だからと。ただもし後日機会があったなら、見学に来て下さいと誘われた。なんでも、館長の話には出なかったけれど、そのヤママユの織物には、特別の紅で染めるモノがある。これは普通の紅とはちょっと変わっていて、なんとも言えない艶が出るそうで、お祭りの時の獅子頭の前掛けに用いるのだそうな。
  自分はその時頭が痛いやら鼻がずきずきするやらでそれ以上の話が億劫だったし、その御婦人も長居するつもりもなかったようで(忘れ物をとりに来た、とのことだった)、もう一杯水を汲んでもらって、彼女は帰っていった。見送りに立とうとしたのだけれど、館内のセキュリテイを動かしますから部屋の出口までで結構ですとのこと。
  それでその御婦人とはお別れして、自分もまだ深く酔いを残していたから、さっさと眠りに落ちてしまったのだが、間もなくまたおこされた。今度は警備員の服を着た男性だ。
『君、先ほど館内のセキュリテイの警報が鳴ってきたんだが、なにか館内を動きまわったか』
  ―――まずい。ばれたら実習どころではなくなる。
  そう咄嗟に考えた自分は、
『すいません、今日は実習生の歓迎会があって、それで潰れてしまって、途中トイレには行きましたが、それ以外はずっと眠っていましたので判りません』
『その鼻血は』
『ああ、これはトイレで誤って転んで。
  あ、その時にセキュリテイに引っかかったのかも』
『いや、トイレの方は警報には関係ないから、展示スペースの方だから』
  ……自分は展示スペースの方も駆け回った覚えもあるし、後にして思えばどうしようもなく見え透いた嘘なのだが、これが不思議とばれなかった。それどころか警備員の方も、なんと、
『そうか。悪かったな、起こして。
  いや警報の方は時々誤作動があるんだ。気にしなくっていい』
  とのこと。実際に誤作動は本当のことらしく、それで警備員の方はあっさり帰っていった。


◆          ◆          ◆

 ―――翌朝―――。びくびくモノで館の朝礼に出ると、飲み過ぎと鼻血の事は笑われたが、なんとそれ以外のお咎めは無し。警報のことは軽く流され特には訊ねられなかった。
  実習に関しても、途中で失格と言うこともなくその後は滞り無く進んで、無事に終わりを見た。
  どうしても気になるのは例の夜中の御婦人のことなのだが、それを訊ねてしまうとそこから自分の乱行がばれてしまいそうなので怖くて深くは聞けず、ただヤママユの織物をどこで造っているかだけを訊くに留めた。
  その後自分は結局その里に赴くことはなかったのだけれど―――
  どうにもあの御婦人のことは、自分の酔いの幻のように思えて仕方がない。鼻血が綺麗になっていたのだって、枕元にコップがあったのだって、たぶん自分がどうにかしたことなのだろうと思う。


◆          ◆          ◆

 後日談。
  夏季休業が終わり、博物館学の講座も再開し、教授から学生達は、実習館からの評価を訊かされる。この教授というのはかなり厳しい人で、滅多に人を褒めると言うことをしない原点方式の人であり、学生達への実習評価も、まあどれもこれもつまらないものだ。
  しかし私は、それとは別の意味で戦々恐々と自分の番を待っていた。
  なにしろ歓迎会での派手な泥酔。それから宿直室への泊まり込みに加えて警備システムの発動。こんなではなにを言われたことやら―――そして、自分の番が来る。
「君……君ゃいったいなにをやったのかねっ!?」
  ほらキたぁ! しかも他の学生とはぜんぜん違う、相当激しい口調だぁ。ああヤバイ。こりゃ単位落とすかも……。
「君の評価は、なんだかしらんが最優になってるぞ? しかも館長からの評価がえらく高い。こんなの初めてだ」
  ――――――はい?
  一番訳がわからないのはこの自分だ。確かに実習自体はどれもこれも真面目にしたつもりだが、なんでそこまで……。
  ……。
  …………。多分。これは推測なのだが、あの呑み会で館長と意気投合したとは言ったが、あれで自分が思っていた以上に向こうに気に入られていたらしい。それが高評価に結びついたのだろう。
  いやはや、なんともかんとも。


◆          ◆          ◆

  そして、結局は見学に行くことはなかったものの、あの夜に聞いた『それで染めると、なんとも言えない色艶を出す特別の紅』が『紅殻町博物誌』の紅のインスピレーションの一つとなり、ブラウスとタイトスカートの御婦人の姿が―――そう、朱藤松実のモデルとなったのである。


 

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