■第3回

 ―――紅殻町の六つの字(あざ)の紹介も、今回より最上の川の西側から東側に移る。

  まず始めに述べておきたいのは、川の東側は、紅殻格子の町並みや、白壁の蔵や赤煉瓦の倉庫、そして板道を架け渡した谷地(やち)という、古い和の情緒をほぼそのまま今に残した川の西側と、確かに最上のこの辺りの流れは広いとはいえ、川筋一つ挟んだくらいでダイナミックなまでに様相が異なるという点だ。
  なんと言ったらいいのだろうか―――川の東側も字紅殻や字木登と負けず劣らず過去の面影を残し、郷愁を誘う町並みではあるのだが、こちら側の方はより身近な印象(イメエジ)がある。もう平成に元号が改まって四半世紀近くも経つけれど、それでも昭和生まれの僕らの世代には、手を伸ばせば届きそうな過去、とでも言ったらいいのだろうか。そんな景観が広がっているのだ。
  これは川の東側は元々あまり展(ひら)けてはおらず、終戦後の高度経済成長期を契機に開発の手が大いに入り、人口も一時期は伸びた事に拠っているのだろう。
  ……ただそれらの発展の波も、どうやら中途で退いてしまったらしく、為に字青元の町並みは、あのように懐かしくもどこか裏ぶれた雰囲気を漂わせているのかも知れず、それを思えば昭和の郷愁だのどこかで見たような懐かしい景色だのと嬉しがるのは、紅殻町の人々に対しては不遜なのかも知れない、と、筆がいささか先走った。
  さて、それでは最上の川の東側の実際だ。

 字(あざ)「青元(あおもと)」

 紅殻町の各区画の紹介を始めるにあたり、最初に記した紅殻格子の字紅殻とは、橋を挟んでちょうど反対側にある、紅殻町のもう一つの中心部と言うべき区画である。
  純和風である本町とはうって変わって、レトロな鉄筋やモルタル造りの入り乱れた雑然として奇妙にけばけばしい街並みである。一昔前の熱海や伊豆といった地方観光都市、そして都内の下町の要素をごちゃ混ぜにして煮詰めたような眺めだ。
  紅殻町の中でもこの区画は元々飲食店・遊興施設が多い町並みではあったのだが、戦後からの高度経済成長の波に乗って他の区域よりも大いに発展を遂げた。
  が、早々に波から転げ落ちて、昭和30年代くらいのレヴェルで発展が停まってしまってそれっきりなのがこの青元である。とはいえ地方の鄙びた町の中にこうした派手な街並みが忽然と現れるのは、一種異様でカオスですらある。
  昭和の郷愁を誘われる雰囲気の、琺瑯(ホウロウ)看板や電飾、各種店舗や飲食店、遊興施設などが裏路地まで詰め込まれ、無国籍な印象さえ漂わせる。ただし停滞と衰退の気配はあちこちに垂れこめ、一見賑々しく見える商店街も、看板だけを残して閉店してしまっているところも数多く、くすんで退廃した印象は否めない。
  一時期までは伸びていた人口も、時代が下るにつれ住民達が町の外に出て行ってしまったり、地方部にありがちな児童の数の減少も手伝って、結局は字紅殻と同じ程度に落ち着いてしまっている。
  また、残っている店舗もその仰々しい呼び文句とは裏腹に、実際はしみったれて侘びしいものも多い。
  例えば『終夜営業、休日無しで何時でも営業いたしております明朗会計の居酒屋であります』という呑み屋は、実際はなにかの倉庫を改造し、片隅にワンカップ酒と乾きモノの肴の自販機が何台か並べられてあるだけで、打ち捨てられたゴミにたかる蝿が飛び回っているような薄暗い空間であったりする。あるいは『紳士と淑女の社交場。各種遊戯台取り揃えました、高級遊戯場へようこそ!』などと銘打ったのが、元々は最上川の船着き場の待合い場だったと思しきプレハブの中に、ラシャが剥げたビリヤード台だの空気が出なくなったエアホッケー台だの、スマートボール台や自分でコンセントをつながないと稼働しないインベーダー台(おまけに海賊版)だのを適当に並べてあるだけで、地元の若者すら見向きもしない、しけたゲームセンターであったりする。だがこの裏ぶれた雰囲気に興を催すのか、こう言ったしょっぱい遊興施設で漫然と時間を過ごす客もちらほらいないでもないようだ。



  一時期は、この青元を中心に観光客を呼ぼうという動きもあったようで、区画のあちこちには土産物屋などが見受けられるが、一部で名高い紅殻町の「珍奇物品」は、実際のところこの新町ではあまり見受けられない。
  その中でも大きいのが、わざわざ『紅殻町物産館』と銘打たれた店舗で、これには二階に『民俗資料展示場』というのが付随しているのだが―――
  結局はこの物産館というのも、青元の裏ぶれた風情を裏切っていない。まず一階の物産売り場だが、これは紅殻町の物産を名乗りながらも置いてある品は、何故か日本各地の観光都市なら何処でも見られるありふれて、かつ時代遅れの土産物ばかりだ。……もっともその中のペナント(そう、あの、もらって始末に困る土産物の代表選手のペナントだ)の量と種類は、一大コレクションといっていいものかも知れないが。
  そして二階の『民俗資料展示場』、と言えばいかにも生真面目に聞こえるだろうし、僕もその響きに騙された。というのもここに置かれ展示されている『民俗資料』というのは、確かに民俗は民俗といえるのだろうが、生にまつわる事物ばかりを、学問的というよりはっきり扇情的に並べたものばかり。たとえば巨大な男根と女陰を模した道祖神が並べられている。たとえば戦中の避妊用具の外箱のコレクションが並べられている。他にも枕絵の複写版、痴態もいかがわしげな蝋人形等々。もはやこの建物は『物産館』を名乗るより、はっきり『秘宝館』と謳った方がいっそ潔いのではないだろうか。
  ……このように、昭和に生まれ育ったものには自分の原風景のように懐かしく、かつ物侘びしく、そしていかがわしさを同居させているのが紅殻町のもう一つの顔、字青元である。

 字(あざ)「村前(むらさき)」

 新町の南に位置するこの区画に目を移すと、紅殻町の他の景色に目がなずんだ旅行者は、自分がうっかり知らないうちに、町の外に出てしまったのではないかという錯覚を受けるかも知れない。それくらいに町の他の字に比べると『普通』で『ありふれた』町並みなのが字村前である。
  もちろんこの字も、懐かしく古めかしいことは古めかしい。ただこの現代日本でも、地方の都市であればまだどこかに普通に生き残っていそうな町並みなのだ。
  川の西側ほど前時代の和の情緒を由緒正しく残しているわけではなく、かといって青元のような、くすんだ混沌のレトロとも違う。
  景観は本町のような日本家屋あり、大正風のモルタル建築あり、雨に打たれ褪色したコンクリート建築ありの、日本のあちこちの都市の中にちょっとだけ生き残る、少し昔の風景を寄せ集め、違和感なく混在させたような眺めである。鈴木清順監督や市川昆監督の映画の背景を見てもらえれば、それがこの字の眺めといっていいだろう。
  まあいわゆる、日本の少し前はどこもかしこもこんな風だったと思わせる町並みなのだけれど―――
  ―――ただ、この字こそが、かつて『珍奇物品』を扱っていた商会や店舗が集まり、それを作っていた工房や職人達が住まう区画だった、という。
  僕はこのどこにでもありそうな田舎町の中にこそ、不思議の品は潜んでいるのだろうかと心躍らせこの字を訪れたものの。残念ながらそれらの店や職人達は店を閉めたりどこかに去ってしまったとのことで、結局はこの字でも僕は、『珍奇物品』の詳細を知ることはかなわなかった。
  この辺りの人々に尋ねてみても、「昔はそういうモノもあったとは聞くが、もう今じゃ出回っていない」か、「うちにもそういうのは幾つかあったらしいけれど、みんな壊れたので、投げて(『捨てる』のこの地方の言い回し)しまったよ」といったお話がほとんどで、皆さんあまり関心がないご様子。
  これは、たとえば有名な観光名所がある地域に住む人々が、その名所に対してかえって感心がないのと同じ類の反応なのか、あるいはそれとも―――町の住人ではないこの僕にはさり気なさを装って語らないようにしているだけなのか、それの判別つきづらく―――
  僕としては、自分の興味と町の人々の間にただ温度差があるだけだと信じたいのだが。

 それでは今回はこの辺で。
  次回の項でもって、紅殻町の各区画の紹介はいったん終了としたい。


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