■第1回

  これは、僕個人の手記であり、世に広く問う性質の文章ではない事をまず始めに挙げておく。
  それでも、近いか遠いか定かではないけれど、何時の日か、もしこの文章を誰か読む人があったと仮定して―――

 読書氏よ。親愛なるあなたよ。見知らぬ友人よ。
  僕の「紅殻町」に関する手記は、残念ながら完成される事はないであろうと告げておきます。
  何故なら僕は近い将来この世から姿を消す事になる、そんな予感……否、確信があるからです。別に自ら命を絶とうという計画があるわけではなく、かといって身辺に危機が迫っているわけでもないけれど。

 加えて紅殻町に関する事柄には、追調査の要を認めざる得ない項目が多々あり、僕にはそれらを丹念に埋めていく時間は残されていない。従って僕のこの手記は、どうしても不完全な、断片的なものに留まる事になると思う。
  それでもおそらくは、この手記は、「紅殻町」の輪郭をある程度浮かび上がらせてくれる位の役には立つ筈である。
  それらを踏まえた上で、紅殻町に関しての幾つかの事柄を記していきたい。

 まず僕が「紅殻町」、この一風変わった(と言ってはこの町の住民に対して失礼かも知れないが、それでも敢えてこの形容を送りたい)町を知るに至った経緯だが、これはなにも始めから紅殻町を目的とした調査を行っていたからではなく、とある品々に関して追跡調査を行っていたところ、副次的にその町の名が浮上してきた、という流れによっている。
  とある品々―――詳細は後述するが、僕はそれらの品々を『珍奇物品』と総称する事にした。珍しく奇なる品。そう呼ぶしかない不思議の品物たち。
  珍奇物品はおそらく明治の初頭、文明開化の辺りから国内のとある町で発明されるか、町の独自のルートで海外より持ちこまれた舶来品で、一頃は「知る人ぞ知る」的なもてはやされ方をしたようだが、第二次世界大戦あたりから徐々に流通量も減少し、戦後から昭和中頃にかけては、もう国内ではほとんどその姿を消した。
  この珍奇物品の事を人に告げる時は、何時もどうしたって躊躇いを覚える。何故ならまず、この現代には現物がほとんど残っていない。そして珍奇物品の機能というのが、この現代の科学に照らし合わせても、どうにもそのまま鵜呑みにはし難い、まるで物語に言う魔法の品のような物ばかりだからだ。
  たとえば、あなたは、「スローガラス」という仮想物質をご存知だろうか。そう、これはあくまで仮想の、ボブ・ショウという小説家の物語中に登場する品だ。その性質は一言で言えば、光が透過するのに時間がかかるガラス、と言う物だ。つまりこのガラスを通して景色を見た場合、そこに映し出されるのは数時間前のその場の情景となる。
  再度言うが、このスローガラスはあくまで仮想の品だ。
  しかし「珍奇物品」はそう言った仮想上にしか有り得ないような機能を実現する/していたのである。
  誤解や嘲笑を恐れず、敢えて一例を挙げてみよう。



『万能星片』と言う品がある。その大仰で、天文学、と言うよりはなにやら錬金術めいた語感を有するこの品は、蓋を開けてみれば一種の菓子であったらしい。らしい、というのは残念ながら僕も実物に触れた機会はないからで、ここからは風聞となるが、この菓子は単に味を楽しむばかりではなく、様々の使用法があったという。
  たとえば―――
・楽器に仕込むと独りでに鳴り出す。
・煙草に仕込んで喫煙すると、阿片に似た酩酊作用が得られる(中毒性は無し)。
・玩具の車などに仕込むと、独りでに走り出す。
  ……といった、いずれも単なる菓子製品の枠を超えた機能、というのか効用を有していたようだ。
  読書家ならば、稲垣足穂の作になる『星を売る店』の同様の品を連想されるだろう。ただこちらはあくまで小説であるが、『万能星片』は少なくとも一九八〇年代初頭までは、東北地方は山形県の一部地域に於いて、細々と流通していた、現実の品なのである。
  そして、『万能星片』を追跡するうちに僕が辿り着いた、その山形県の一部地域と言うのが、「紅殻町」であったわけだ。
  なお僕が珍奇物品と総称している品々は、実は他にも数多く存在し、というか存在していたのだが、その流通元を辿るとほとんどがこの紅殻町に行き着く。どうやら珍奇物品はそのほとんどがこの紅殻町内で製造され、国内で流通していたらしい。

 さて、紅殻町の事だが―――
  町の事を記す前に、読書氏は「陸の孤島」というものに対してどういったイメージを持っておられるであろうか。おそらくは深い山間ないしは断崖絶壁で周囲を取り囲まれ、出入りのための道筋は辛うじて一つあるかないか、といった物理的に隔絶している地域がまず想像されると思われる。
  この紅殻町もある意味陸の孤島であり、他地域との通行が容易ではないのだが、それは前述のような厳しい地形的要因によるものではない。
  この紅殻町というのは正確には行政区画上の「町」ではなく、山形県西置賜郡白鷹町、その町内の一画、一地域の旧名であり、紅殻町そこ自体は白鷹町内の他の町並みと隣接している。
  してはいるのだが、どういった理由からか大きな国道や幹線道路、のみならず住宅道路や小さな私道に至るほとんど全ての道は、紅殻町を迂回するか途中で行き止まりになり、余程意識してこの町を目指す人間であっても、ほとんどが紅殻町に入る事は出来ず、気がつくと町を大きく迂回して別の地域を歩いている自分を見出す事となる。
  紅殻町と他地域を結んでいる道筋は僅かに二本。それも多くの分岐と細い路地を正確に潜り抜けないと行き着けない。
  こうした地図的要因により、紅殻町は白鷹町内にあって一種隔絶した陸の孤島となっており、隣接する地域の住民達も、
「あそこら辺にも部落はあるが、なかなか行きづらくてよくは通えない」
「それにあそこら辺に住んでるのも、あまり外には出てこないから、付き合いがほとんど無い」
  と言ったように、あまり接触は持っていないのが実情のようだ。僕も珍奇物品を追ううちに紅殻町の存在を知り、その流通の大元であるその町に直接赴いての調査の要ありと判断した。が、それからが諸々厄介で、紅殻町に至る道筋を把握するまで、白鷹町に到着してからまる二日を要した。これではおそらくは紅殻町を知らない者が、偶然にその地に至る確率は相当低いものと思われる。

 さて、これでようやく記述は紅殻町に移る。これより先は僕がその町で調査、見聞した際に記録し続けた断片的なメモを再構築したものとなる。

 紅殻町というのは行政区分上のいわゆる「町」ではなく、当該地域の旧称であることは前述した。そしてこの当該地域というのは六つの区画に分けられており、これを総称した地域を紅殻町と呼ぶ。
  紅殻町は白鷹町内を流れる第一級河川、山形の名川最上川を挟んでその両岸に拡がる町並みだ。
  川を挟んで西側、こちらに三つ、
  字・紅殻(べんがら)
  字・木登(きのぼり)
  字・共由(ともよし)
  そして川を挟んで東側、こちらにも三つ、
  字・青元(あおもと)
  字・糸ヨ水(いとよみず)
  字・村前(むらさき)
  ……の都合六つの区画で紅殻町は成り立っている。
  ちなみに紅殻町と隣接地域をつなぐ道筋は、それぞれ字紅殻と字青元に一つずつしか存在していない。



  で、その外界との出入り口がある字紅殻だ。こちらの道筋から紅殻町に至った者がまず始めに見ることになる町内だが、字名にもある通り、おそらくはこの区画がもっとも紅殻町を端的に象徴した町並みといえるだろう。町の入口に至るまでは、現代的なモルタル造りや新建材の家屋の中に、瓦屋根で木造の旧日本家屋が入り交じる、日本の地方部によく見られるいわゆる田舎町なのだが、入口を抜けて十数米を歩くと、道沿いの家屋が赤褐色の色合いが目立つようになり、やがてすぐにその色で埋めつくされる。京都の旧市街部のような、と言えば想像していただきやすいだろうか。
  通りはアスファルトの舗装路から石畳を敷きつめたものとなり、電信柱は今どき木の、タールを塗りこめ対腐食対虫害としたものだ。そして通りの両脇に密集するのは、紅殻を塗りこめた格子戸、虫籠窓、蔀(しとみ)窓と言った、古い時代の日本の面影を今に色濃く留めた家屋で、この字紅殻には洋風建築は一軒も見当たらない。というより現代を感じさせる風物はなきに等しく、余所から入りこんだ者は自分が時代劇の中に迷いこんだような、あるいは時間の悪戯にあって過去に送りこまれてしまったかのような、そんな強い印象を受けるであろう。
  家屋は文化財指定を受けてもおかしくはないくらい時を経たものばかりで、そのいずれも人が住む現住家屋であるのがまたすごい(とはいえ、過疎化の波からこの町も逃れきれないようで、無人となった家屋もちらほら見受けられるが)。家屋の造りも、間口が狭く、奥行きが細く長い、いわゆる鰻の寝床様の物が多く、この辺りも限られた区域に多くの家屋を建てるための、京の町作りと共通している。

 余談になるが、実際、かつてこの辺りの地域は紅花の交易を通して京都との交流があったようで、文化風俗の端々に上方からの影響を受けたものも見受けられる。この紅殻町にも紅花からの紅の製造、流通に関わる『紅座』と呼ばれる商工組合が組織されていたが、現在では名前のみを残した町内会のようなものになっているようだ。
  なお、町の紅と紅殻格子の紅殻は語感から混同しがちになるが、この二つは別の染料であることを蛇足ながら付記しておく。

 字紅殻はこうした古い家並みだけでなく、辻には古い十王堂、屋内の水場には手押しポンプ式の井戸、土間造りの乾物屋、職人がむっつりと手仕事に打ちこむ畳張りの仕事場、往来を歩き疲れた人のために軒下へ置かれた床几台、等々の、古い時代の日本の風物で埋めつくされ、また細い路地があちこち走り、勾配が多い事もあり、実際の広さよりも奥行きと懐の深さを醸し出す町並みとなっている。
  もう一つ字紅殻の景観に関して述べておきたいのは、家々の二階と二階とに差し掛けられて、往来の上、裏庭の上の横切る渡り廊下、である。学校や病院などに時々見られる、隔たった棟の間に掛かる渡り廊下の、紅殻を施された木造版といえば想像しやすいだろうか。なんでも以前、まだ辺りの積雪がもっと酷かった頃(そう、これでもこの地方は、昔よりは降雪の量は減ってきているのである)、天からは横殴り地からは舞い上げられて目を開けるのも困難なほどの吹雪だったりして、まともに外が歩けなくなるような状況に陥った際に、雪をかわして向かいの家々と行き来するために設けられた構造だとのことである。

 紅殻格子の家並み、石畳の往来、そしてその上にかかる渡り廊下。

 郷愁と懐古の念を強く抱かせる町並み、それが紅殻町の字紅殻であり、この町の「顔」なのである。

 ただ問題の珍奇物品に関しては、町の人々も僅かに記憶に留める程度で、その現物はほとんど残っていないというのが現状のようだ……。

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