■信天翁航海録発売日記念更新

 薄暗い船底の、隙間のような一画だ。
  古ぼけた木箱をひっくり返し、卓代わりにしてある。椅子も背の低い樽で。
  汚水の匂いと煤の臭いがやや籠もるが、気になるほどではない。
  船体がぎーぎー軋んでいるが、波は穏やかなようで、揺れは少ない。
  卓代わりの木箱の上には、酒を注いだタンブラーと、酒肴の数々が並べられている。

 早速それに手を伸ばそうとした希が、ぴしゃりと遮られる。

「―――お預け」

 えええそんなあ。

「はい、希さん、あなたまず、なんで我々スタッフが二人も今回の信天翁号潜入についてきているのか、それを答えるまではお預けです」

 はっはっは、そんなの決まってるじゃないですか。希一人にしておいたら、ちゃんと取材になど行かず、手近な近所の酒場かもしくは自分の家で済ませてしまって、記事にならないからに決まっているでしょう。なんしろ私は前回の紅殻町の発売日更新の時に既にやらかしてますからね。
  すなわちあなた達二人は私のお目付役だーい。

「……このろくでなしが。なかば正解ですが、いささか足りませんよ。ほれもうちょっと白状してみ?」

 はーい。それはつまり、介抱役でもあります。いい歳こいて大人の酒の呑み方も知らない希が、調子こいて呑みすぎた挙げ句にぶっ潰れて歩けなくなった時、ちゃんと送り届けてくださるようについてきてくれたのであります。

「ですよねー。なんでもマスターアップのあの日、深夜無事最後の確認が終わって、お疲れ様となった途端、希と来たら早速お外に駆け出して―――」

「どこに行ったかと思ったら、案の定ビールとかハイボールのロング缶を買いこんできて、一人で呑みだしていたらしいじゃないですか」

「……翌朝、会社のあんたの机の上にずらずら並んでいた空のロング缶を見た時には、それで大体の経緯は想像できましたが」

「いやあそれでも、マスターアップの翌日、会社のトイレの中でぶっ潰れていたあんたを発見した時にはどうしようかと思いましたよ」

 えー……まだちゃんと便座に座っていただけ増しですよう。何時かなんかはトイレの床にそのままぶち転がっていたことだってあるくらいなんだから。あの時なんか、ぐずぐずに酔い溶け崩れた最後の記憶に残っているのは、『おや、このほっぺたに当たっている固くて冷たい感触はなんだろう』でしたからね。トイレのタイル床だったわけですが。

「……なあ、やっぱり今日、この人に呑ませるの、よさない?」

「そうも言っていられないでしょう。希は呑むことだけを楽しみに原稿書いてるんですから」

 そ、そうですよっ。信天翁のお仕事が終わったとき、お酒の女神様(※注)が囁いたんですからっ。
『やったね 希ちゃん お酒が 呑めるよ』
  って。

※注:お酒の女神様。希が信仰している偉大なる神様。半裸のすげえイカス美女らしいが、希以外はその姿を見たことがない。わりと厳しくて、仕事をしないものにはお酒を呑ませず、この戒律を破ったものはたちどころに急性アルコール中毒にかかるという。

「……ま、いいでしょう。
  それに何時までも放置していたら、せっかくのお酒も気が抜けてしまうし、ロックも薄くなりすぎてしまう」

「では乾杯」

 かんぱーい。

「お疲れ様でした。まずは『信天翁航海録』発売、おめでとうございまーす」

 ごくごくごくぷはーっ。ああ旨いのう旨いのう。真夏の冷えたビールは脳が溶けそうに旨いのう。

「これは……セルティア。アフリカはチュニジアのビールですか。
  さっぱりしていて飲み口が良いですね」

「熱いところのビールだからねえ」

 お二方お二方。ビールにおつまみにはやっぱりこいつでしょう。
  希が卓の上に押し出してきたものは―――

「これは……太瓶のへりまでなみなみと詰め込まれた……」

「柿の種ぇ? なんだってこんなもんがこんなところに」


 いや我々にとっちゃどこでも見るようなスナックですが、これが実は今世界中で大人気みたいですよ、「柿の種」。ジャパニーズスナックとかって。

「よその国の人に、この『柿の種』が実際の柿の種の形に似ているから、とかってニュアンス、伝わるのかなぁ」

「まあまあ、とりあえずビールで喉を整えたら、本命のこっちにいきましょう。やっぱり船、船乗り達の物語ときたら、酒はこいつ、『ラム』でしょう」

 ですよねー。とはいっても自分、お酒だったらなんでも呑む方なんですが、ラムはあんまりやらないなあ。銘柄とかわからんので、そのあたりのお奨めはお任せします。

「いやこう言うのはインスピレーションで頼んで、気に入ったのを自分で見つけていくのが酒飲みの楽しみ、ってもんでしょう」

 なるほどもっともだ。じゃあ自分はこいつを。
(希、適当なダークラム※注を注いで一啜り)

※注:ダークラム。ラム酒には大まかに分けて三つの色があります。ホワイトラム(無色透明)、ゴールドラム(薄い褐色)、ダークラム(濃い褐色)です。

 おう……スピリッツのロックは最初の一口目のキックがやはり頭にクる……でも美味い……美味いですよ、このテキーラ。
  ……あれ?

「ラム酒でしょうがそれ。どれ、一口味見させてください……あれ? 確かにこれは……随分とテキーラによく似た味わいの……」

「最初からそういう変わり種を掴むあたり、希らしいというかなんというか」

 じゃあ、そっちが呑んでいるの一口舐めさせてください。
  ……おお……これは随分とろりとした……。
  ―――って。頭の後にドカンときましたよこの酒のキック! こりゃ随分きっつい酒ですな!

「ああそいつは『レモンハート・デメララ』ですわ」

 レモンハートちゅうたらあんた、ラムの中でもストロングスタイルな事で有名なヤツじゃないですか。そんなものをのっけからよくも呑むもんだ……。

「まあ流石に何杯もこればっかり続けては呑めませんがね。それはさておき、今回の信天翁(アルバトロス)ですよ。raiL三本目と言う事で色々と前からは毛色、変えてますが、タイトルもですよね」

「表記は漢字だけど、読みはカタカナですもんね。これ、あれでしょう? ホジスンの『夜の声』とそれから『マタンゴ』に出てきた船の名前。そのあたりからとったんですか?」

 え……その。何時かの晩、酔っ払いながら漫然とCATV眺めてたら、流れていたのがアニメルパン三世の、でっかい飛行機が出てくる回でして、そのタイトルが格好良くて、何時か自分の企画に流用できたらなあと。
『死の翼アルバトロス』というのですが。

「宮崎ルパンかよっ。しかも元は飛行機だったんか……」

 いやあ、ミモレットチーズ美味しいですねえ。この濃厚な味わいがラムと絡んで実に合う。

「ああもうひたすら喰って呑むモードに入っちゃって。でも確かに、前々回が不思議ででかい旅籠、前回が奇妙な時代遅れの町、ときて今回は海。舞台が少しずつ広がってきているような。ここら辺も意図的に?」

 んー、船っていう閉鎖空間を舞台にしておけば、背景の枚数が少なくて済むかって思って。背景の事色々考えるの、けっこう大変なんですよ。

「……でもあんた、その割りには港町とか倉庫とかあれとかこれとか色々変な発注かけてるじゃないですか」

「世界中を股にかけた船だから、話の行く先々でいろんな背景があるじゃないですかっ。一回しか使わない背景があるってCGチームが泣いてましたよっ」

 ああ、チリビーンズ美味しいですねえ。この豆と辛めのソースの舌触りがラムの刺激を洗っていってちょうど良い……。

「聞けよう人の話、じゃああのキャラが実は××だったとか、そのあたりの事情はっ」

 え? あ? あ、あれのことですね? アレでしたら原画のこめさんのデザイン案を見ているうちに、こう、ぽこっと。いやあのキャラがああなるとは、実は自分でも最初は全く考えておらんかったですよ。

「キャラクターの氏素性までぽっと出の、しかも他人任せかよ……なんかもう、色々とネタを聞き出そうとしたり突っこんでみるのも空しくなってきたわ」

「まあまあ。酔っ払っている希さんの言う事だから、実はそれだって全部でまかせの可能性がありますって。いいからあなたも呑みましょう。ほら次はどのラムにします?」

「……ネルソン提督の血で造った、ならぬ、こっちにモンテ・クリストって名のなんかイカしたラムが。私はそれで」

 おお巌窟王。しかしお酒はなに呑んでも美味しいですが、ラム酒もこう、銘柄によっていろんな味があって実にいいですねえ。
  あ……!

「なにか思いついたようだな。あんたがその顔でなにか思いつくと、たいがいろくな事を考えていないっつうのが通例だが、一応言ってみ?」

 船物、海洋冒険物を書いてラム酒を呑ませてもらえるのなら、フランスの田舎町とか舞台にしたら、もしかしてワインとか呑ませてもらえるんですかいのー。
  ……ワインって、高いのだと自分ではなかなか手が出ないんですよねえ。
  それに、この信天翁号の船底、薄暗くって程良く狭いのは、雰囲気としてはなかなかなんですが、汚水臭くっていけない。どうせ似たようなところに籠もるのなら、フランスの片田舎、カオールあたりの農家のワイン蔵とかの方が―――

「……この希、自分の企画まで酒のあてにするつもりか……。おい、もうこの人、そこら辺の汚水槽に叩きこんできてさ、二人だけでしんみり酌み交わそうや」

「ですねえ。同感。今の調子だと、聞かなかった方がよかったような裏事情までぽろぽろとバラされそうで」

 あ。そんな。聞かれたから離したのに。
  ああん、ま、待って、せめてそのチキンジョージを食べるまで、この一杯を呑み干すまで待ってぇぇぇ……。

 ―――こうして追い出された希は、お家に帰ってからも飲み直しとばかりにビールとハイボールを開け、そして止まらなくなって今度はジンにまで手を出して、翌日きっちり二日酔いになり、夕方までアザラシのように転がっていたそうです。
  この駄目な様は、流石は信天翁航海録のあの主人公の生みの親だけあるようです。

 

             終

      ていうか終われ、終わってしまえ!


▲こめさんからお祝いカットをいただきました!

「信天翁航海録」本日発売です。宜しくお願いいたします!